川越画廊 ブログ

2011年2月20日



次の企画展まで日にちがあるので、いろいろ展覧会を見て回ったりと思いながら、まだあまり見ていません。
昨日は近所のR+さんで開催中の斉藤研先生ほかのグループ展のパーティーにお邪魔して、楽しい一時を過ごしました。
いろいろな団体展の方が来られていましたが、団体展もいろいろ新しい動きがあるようです。

内田静馬宅のある川田谷のすぐ隣に石戸宿というところがあります。
ここに「石戸の蒲桜」があって、渡辺崋山が描いた蒲桜の絵が残っているそうです。この辺りは荒川舟運の要衝で、内田家ももとは船荷の荷受け所のようなことをしていたようです。
崋山が蒲桜を見にきたとすると船で来るのが自然で、川田谷か石戸で船を降りたはずです。もし川田谷であれば、内田家に寄ったこともありうるわけで、いろいろと想像が膨らみます。

石戸の蒲桜は往時の姿でないにしろ、かつての日本五大桜ということで、近場の花見には良いと思います。

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渡辺崋山筆 佐藤一斎像 文政4年(1821年)作 東京国立博物館蔵 重要文化財

佐藤一斉と言う人は幕府体制保持の官学朱子学のトップにいた人で、直接教えを受けた人は2000人いたそうです。その中に佐久間象山や渡辺崋山がいたわけです。
ところが朱子学と言いながら、実際は造反有理と言えるような陽明学を教えていたのです。
崋山は藩の家老を務めた武士でしたが、進歩的思想を咎められて謹慎処分となります。謹慎中は給料が出ないわけです。そこで絵を売って生計を立てるわけです。
そのころから画商のような人がいたらしくいろいろ注文を受けます。そこで謹慎中に書いたというのはまずいので、謹慎以前の制作年を絵に入れるわけです。

しかし絵を描いているといううわさは広まり、忠義に反したと言って切腹します。納屋で発見した母は、体を起して腸が全部あふれ出しているのを確かめて、あっぱれな武士であったと言ったそうです。
















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by kg142 | 2011-02-20 13:40 | アート