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川越画廊 ブログ

2011年11月5日



今朝 市立美術館に、今回の案内はがきを置いてもらいに行ってきた。


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今日から「ミロ版画展」

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近くの三好野神社、「とうりゃんせ」発祥の地と言われています。

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その隣の「川越太面焼きそば 発祥の地?」 並もり 250円也

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川越城本丸御殿
ここらを巡って、美術館に置いてあるハガキを頼りに川越画廊へ来ると
以下のような展示になっています。



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大沢昌助展 「逸楽と秩序20点シリーズ」 + 初期作品
11年11月8日~20日 14(月)・15(火)休み
川越画廊 埼玉県川越市連雀町14-2 〒350-0066



大沢昌助 略歴
1903年(明治36年)9月24日、東京三田綱町に大沢三之助、みよ子の三人兄弟の二男として生まれる。三之助は建築家辰野金吾の教えをうけ、後に東京美術学校図案科第二部(建築科)主任教授となる。三之助の妹いと子は福沢諭吉の長男一太郎に嫁いでいる。
1923年(大正12年)(20歳) 4月、東京美術学校(現・東京芸術大学)西洋画科に入学。長原孝太郎、小林万吾にデッサンを学び、三年次に藤島武二教室に入る。一級上に猪熊弦一郎、山口長男、荻須高徳、岡田謙三、牛島憲之、小磯良平、一級下に吉井淳二、久保守らがいた。
1928年(昭和3年)(25歳) 東京美術学校西洋画科を首席で卒業。
1932年(昭和7年)(29歳) 世田谷区玉川奥沢町2-666にアトリエを建て、転居。この年、国立音楽学校の一期生でピアニストの北村季美子と結婚する。(季美子の父北村季春は長野県歌「信濃の国」の作曲者)
1933年(昭和8年)(30歳) 大沢昌助油絵個展(日動画廊)開催、福沢一郎から励ましをうける。
1939年(昭和14年)(36歳) この年から児童雑誌『コドモノクニ』に童画を掲載。
1942年(昭和17年)(39歳) 二科賞受賞。
1943年(昭和18年)(40歳) 二科会会員に推挙される。
1945年(昭和20年)(42歳) 4月頃、強制疎開を受け、福沢方に転居。8月、父、三之助死去。この年、二科会再建に会員として参加する。
1946年(昭和21年)(43歳) 武井武雄、初山滋らによる日本童画会の創立に参加。
1954年(昭和29年)(51歳) 多摩美術大学教授となる(1969年まで)。
1961年(昭和36年)(58歳) 兜屋画廊で戦後初個展。
1965年(昭和40年)(62歳) 第4回国際形象展で愛知県美術館賞を受賞。多摩美術大学正面玄関にモザイク壁画を制作。第8回サンパウロ・ビエンナーレ展に出品
1973年(昭和48年)(70歳) 大沢昌助・村井正誠・山口長男展(夢土画廊)
1975年(昭和50年)(72歳) 麻生三郎・大沢昌助・柳原義達・山口長男展(ギャラリーセゾン)
1978年(昭和53年)(75歳) 大沢昌助・堀文子・建畠覚造展(神奈川県民ギャラリー)開催。
1981年(昭和56年)(78歳) 大沢昌助の世界展(池田二十世紀美術館)開催
1982年(昭和57年)(79歳) 二科会を退会。
1984年(昭和59年)(81歳) 大沢昌助個展(銀座アートセンターホール)開催、「隠喩(赤)」「隠喩(青)」
1991年(平成3年)(88歳) 8月、大沢昌助展(銀座、和光ホール)開催。9月、変身と変貌 大沢昌助展(練馬区立美術館)開催。東京都新都庁舎都議会本会議場前ロビーの大理石に壁面デザイン。
1995年(平成7年)(92歳) 第4回中村彝賞受賞。
1997年(平成9年)5月15日午前9時、急性心筋梗塞のため自宅で死去。享年93歳。9月、追悼 大沢昌助展(練馬区立美術館)。
by kg142 | 2011-11-05 17:58 | アート