川越画廊 ブログ

9月3日


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展示風景


今回の展示は手持ちの作品の中から自分好みの作品をピックアップして展示しているので、画廊主としてはなかなか良い展示かと思っております。渡米初期の作品が多くなっています。
過去の個展は新作展ということで、晩年作はやはり多少の衰えもあったかもしれません。

作者が亡くなってみると作品が確定して、全体を通して見ようという気持ちが生まれ、どういう画家であったのかということが初めて意識されます。

木村利三郎先生は1964年東京オリンピックの年に渡米し、ニューヨークに50年間とどまり600余点の版画を制作しました。その継続と物量においてまず特筆される画家と言えます。
1点のエディション数が50とすれば、30,000点の作品を残したことになります。

そしてその30,000点は、アトリエに残ったのではなく誰かの手に渡っているのです。
したがって、時代がたっても誰かが発見してくれることになるわけです。

利三郎先生は、久保貞次郎先生の思想を体現した画家であったという側面もあります。

久保先生は敗戦を期にした資産階級の没落を身をもって経験し、美術を支える階層のなくなった戦後は、大衆がそれを担うべきということで、小コレクター運動をおこします。

若き日の利三郎先生は、小コレクター運動や創造美育運動の熱気の中にいました。
りくつではない「支持することは買い求めることだ」(売ることだ)
という思想のもとに、学校や工場を回って若い画家の絵を頒布して回りました。

やがて自ら画家を志し厨子にアトリエを構え、この時期人物を主題とした油彩、エッチングなどを制作しました。そして1964年、靉嘔や池田満寿夫に遅れまじとニューヨークへ渡ります。
今度は自らの絵を売る立場となったわけです。

NYに50年間、絵を売るだけで生活した画家がはたして何人いるでしょうか。

晩年まで作品を安価に、大衆に頒布し続けました。
ローカルこそがインターナショナルだ、とよく言われますが、
まず賞を戴いて、名声を携えて地方を回るというトップダウンでなく、まず地方へ大衆へというボトムアップを貫いた画家だったのです。











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by kg142 | 2014-09-03 18:44 | アート