川越画廊 ブログ

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2012年7月27日


夏の展示 8月1日~5日
靉嘔・瑛九・飯塚八郎・岩崎巴人・岩崎勝平・オノサト・川島猛・北川民次・木内克・木村茂・草間弥生・駒井哲郎・佐藤哲三・篠原有司男・鶴岡政男・関根伸夫・元永定正・ヘンリーミラー・レジェ・ホックニー・ブラック ほか






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展示風景




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瑛九 画室 ペン画 17×20cm 1940頃
裏面 裸婦 23×12cm  あり


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瑛九  宮崎風景 鉛筆 25×35cm  1940頃



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靉嘔  抽象 水彩・鉛筆 ほか 1959 56×53cm




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ヘンリー・ミラー  女の顔  水彩画 1958 42×53cm

リストのサイズに一部誤りがありました。失礼しました。












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by kg142 | 2012-07-27 18:06 | アート

2012年7月21日

夏の展示
出品作品の一部をご紹介します。
25点について写真入りのリストを作りました。
ご希望の方にはお送りします。





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オノサトトシノブ 64-B リトグラフ 1964 17×25cm ed.120  鉛筆サイン


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オノサトトシノブ シルク26 シルクスクリーン 1969年 30×30cm ed.200  鉛筆サイン

 

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オノサトトシノブ Anniversary シルクスクリーン 1969年 10×15cm 鉛筆サイン



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篠原有司男  女の祭 シルクスクリーン 1966年 70×144cm ed.100  鉛筆サイン
代表的な版画作品







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ホックニー 緑・灰・青色の植物  ホームメイドプリント 1986 43×56cm ed.60 鉛筆サイン




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鶴岡政男 蝶と虫 墨・水彩・フェルトペン  1956年 53×70cm




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F・レジェ  静物 銅版画 1950頃 43×56cm ed.300 ペンサイン
by kg142 | 2012-07-21 19:30 | アート

2012年7月14日

作品は徐々に搬入していますが、 7月 28日・29日は夏祭りで大変騒がしいので、夏の展示はそのあとに開催します。

夏の展示 8月1日~5日



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関根伸夫 位相絵画 (2003年川越画廊)

海外で「もの派」の美術館ができるとか、現存作家が再制作を依頼されているとか、
「具体美術」の次は「もの派」が注目されているようです。

「もの派」と言えば関根伸夫です。
関根先生は斉藤義重の教え子であるとともに、高松次郎のアシスタントをしていた人です。
高松次郎の、木や石を細かく砕いた「単体シリーズ」などを発展させて「もの派」のコンセプトを確立したのは関根伸夫です。

生前に斉藤義重先生の横浜のアトリエをお訪ねしたことがあります。そのとき私を含めて10人ぐらいの若者を前に、宇宙の話と位相幾何学の話をしてくださいました。(位相大地の20年近く後のことです・・)
斎藤先生は位相幾何学の知識があり、引き続きその可能性に大変な関心と興味を抱かれていたのです。

関根伸夫の「位相絵画」の位相について、波形の上での位置というような意味、あるいはもっと文学的な意味に理解されているふしがあります。
「位相絵画」の位相とは、位相幾何学という数学用語から来ているのです。斉藤義重から教授された位相幾何学をヒントに、それを作品化したとも言えるのでしょうか。
位相とはトポロジーの和訳(当て字)で、波とか周波数とかとは関係ありません。

元々ダビンチの時代まで科学とアートは一体のものでした。関根伸夫は、それらを再び結び付けたともいえるわけです。



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関根伸夫  位相(赤) リトグラフ 1976 60×45cm ed.20













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by kg142 | 2012-07-14 20:06 | アート

2012年7月11日



「夏の展示」 の作品をご紹介します


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飯塚八郎 ベニヤ・木片・ドリル・顔彩 122×90cm   
斉藤義重の助手を務めたため、それと見紛う程の完成度です。師の作品なら二桁違います。


飯塚八郎 (1928年~2008年5月)
兵庫県生まれ。版画家、画家、彫刻家
シェル美術賞展受賞、東京国立近代美術館他収蔵、東京芸術専門学校(TSA)(校長は斎藤義重)で講師。
斉藤義重の制作アシスタントもつとめた。大江戸線青山一丁目駅にレリーフがある。






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by kg142 | 2012-07-11 18:57 | アート

2012年7月10日




大沢昌助展好評のうちに終了しました。半分ほどは非売作品ということもあり、あまり売約には至りませんでしたが、多くの方にご来場いただきました。
大沢昌助というと女性像を連想する方が多いと思いますが、初期と晩年にはあまり女性像を描いた作品はありません。大沢昌助の違った一面をご覧いただけたかと存じます。
これらの作品が会することもあまりないので、しばらくこのまま展示を続けます。(会期延長・不定休

早くも来年の展示作品について話が進んでいます。
今後は毎年開催ということにこだわりませんが、多くの方に大沢昌助の素晴らしさを発見していただけるよう続けててまいります。

次回は

夏の展示(セール) 
8月1日(水)~5日(日) 会期中無休
お手頃価格の作品と珍品を展示します


  

ホームページを現在使用中のビスタパソコンから更新できるようになりましたので、順次作家ごとの作品紹介ページを作ってまいります。(当面 大沢昌助、靉嘔のページを作る予定です)

不在の場合がありますので、会期中以外はご確認の上ご来場ください。
by kg142 | 2012-07-10 13:07 | アート

2012年7月7日

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大沢昌助 書き物する人 1936年 油彩 P20号  
昌助夫人 季美子を描いた作品


季美子夫人は旧姓北村季美子といい、江戸時代の和学者北村季吟の子孫で、ピアニストだった。季美子の父北村季晴は、長野県歌「信濃の国」の作曲者として有名な人。

昌助先生は映画、音楽、カメラと多趣味な人だった。中でも音楽は、クラッシックを聞きながら制作することも多かったようだ。
当画廊で昨年展示した20点のシリーズ「逸楽と秩序」は、デュバルクの歌曲「旅へのいざない」の中で繰り返し歌われるボードレールによる歌詞で、最晩年の連作「12のエチュード」は、はドビュッシーの同名のピアノ曲集に拠っているとのことである。

アトリエには立派なオーディオセットが残されていて、以前から画家や画商のだれだれが聞きに来たと聞いていたので、先日お訪ねしたときにぜひにとお願いして一曲聞かせていただいた。
ワルツであることは分かったが、ジャケットを見ていたらヨハン・シュトラウスという文字だけ読めたので、そんなことをしゃべったら、泰夫さんから特に何の返答もなかった。

2010年練馬区立美術館で開催された「大沢昌助と父三之助展」のカタログ冒頭に、大沢泰夫氏による「受けつがれた芸術家気質-祖父・三之助から父・昌助へ」という名文があります。その一部を抜粋します。

・・・フィリップ・ライナー指揮シカゴ響が1960年頃にRCAに入れたウインナーワルツのレコードの中のユーゼフ・シュトラウス作曲「わが人生は愛とほほえみ」を父は「曲も演奏も最高だが、特に題名が気に入った。オレの人生のモットーとピッタリ同じだ!」とよろこんで度々聞いていたのを思い出す。


アトリエで聞いたワルツは「我が人生は愛とほほえみ」だったのだ。
泰夫さんは当然私がこの文章を読んでいるものとして、選曲していたのだ。
確かに私はこの文章を読んで、先生のモットーとしてこのブログにも書いたことがあります。
しかしとっさに思い出すこともなく忘れていたのでした。

http://youtu.be/BhmAh3uLhzI
正確には 「我が人生は愛と歓び」 のようです
by kg142 | 2012-07-07 20:11 | アート

2012年7月5日





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1995年の個展での大沢昌助先生
このとき120号のピンクの絵を発表されました。(画像がよくありませんが・・)





今回もピンクの絵があります。
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思い出  30号  1985年(後年加筆)





大沢昌助展 は8日まで開催中です。
by kg142 | 2012-07-05 11:23 | アート

2012年7月1日





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大沢昌助展は久々に案内ハガキを印刷したためか(いつもは手作りはがき)、連日多くの来場者があります。
なれない気疲れもあって、会食のお誘いをご遠慮したりして失礼しております。

昨日は、「ある画家の作品を画集から切り取って壁に掲げていたら、その作品が自分のもとに来た。」という話をされた方がありました。思いが通じたということなのでしょう。

先日頂戴した「わの会の眼 コレクターたちの静かな情熱」に大沢昌助の作品を紹介している方がありました。 また以前画廊でもとめた「昭和遠望 拾いあつめた絵への鎮魂歌」(伊藤順一著)にも大沢昌助の作品が紹介されています。

練馬区立美術館ニュース16 に「・・・大沢昌助は目立つことを望まなかった・・・」(上山陽子学芸員)という文章がありました。
無名の小さな画廊で晩年10回も続けて新作個展を開催してくださったのは、先生のそういう姿勢から来ているのかと改めて思う次第です。当方も何かにつけて引いてしまうマイナーな性格の為、大沢昌助という人格と作品に引きつけられるのかもしれません。

「日本一の◎◎画廊」 と大風呂敷を張ってせいぜい食いぶちを稼げる程度の零細業界にあって(失礼!)、マイナーなんて言っているとただ消え去るのみと言われそうです。
そこでこの際、「日本一のマイナーな画廊」というのはどうかと思うこの頃であります。

そういえば
先生がそろそろ重要な役職が回ってくるのを察して二科会を退会したら、織田広喜氏が一週間慰留の為に訪ねてきたそうです。会長でもされていたら、また違った見方をされたのかもしれません。
by kg142 | 2012-07-01 12:27 | アート