川越画廊 ブログ

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2013年3月27日

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昨日(3月26日)の伊佐沼の桜、3-4分咲きくらいでした。




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谷中安規  怪鳥 木版画 手彩色 1934年 「白と黒」43号所収 14.5×17.6cm
中央に「ムンクの叫び」のような人、右端は自画像。飛行機を鳥に見立ててそれを見上げる人間衆生。
安規の作品には仏教思想からの影響を感じさせるものが多くあります。


美の巨人たち http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/data/050423/




木版画の魅力
4月10日~20日  15日(月)休
(出品作家)
飯野農夫也・内間安瑆・小野忠重・恩地孝四郎・北川民次・川上澄生・谷中安規・竹田鎮三郎・萩原英雄・吹田文明 他

by kg142 | 2013-03-27 17:25 | アート

2013年3月22日



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古川龍生  木版画 24.5×19cm 1979年(浅香公紀による後摺り)


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靉嘔 大地 水彩 1955年頃 38.5×27cm



ある作品の撮影とリスト作りをここ数カ月お手伝いしてきましたが、ようやく3月でほぼ完了するので、

4月は木版画展(内間安瑆を主として、谷中安規、川上澄生、吹田文明、恩地孝四郎・・)
5月は靉嘔展(初期デッサン水彩を主として)

を開催いたします。
by kg142 | 2013-03-22 20:04 | アート

2013年3月13日

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吹田文明  失われる心を追って  木版画 1966年 ed.50  73×60cm

花火の版画家と言われるが、タイトルからすると心の一部が闇の彼方へ遠ざかってゆくようにも見えるし、大震災へのレクイエムのようにも思えてきます。
この作品は、1967年サンパウロビエンナーレ版画部門最優秀賞を受賞した作品で、作者の代表作の一つです。

吹田文明 経歴
1926年徳島県に生まれる。徳島師範学校(現徳島大学)に学ぶ。1948年徳島県の研究派遣生として、東京芸術大学に学ぶ。1957年の日本版画協会展で恩地賞を、翌58年協会賞を受賞し会員に推挙される。1959年シェル美術賞展佳作。1960年から68年の東京国際版画ビエンナーレ展に招待出品。1961年第2回パリ青年美術家ビエンナーレ展出品。1965年ノースウエスト国際版画展大賞受賞。1967年サンパウロ・ビエンナーレ展で最高賞を受賞。1968年ジャパン・アート・フェスティバル展、69年リュブリアナ版画ビエンナーレ展、70年ブラッドフォード・ビエンナーレ展、72年ソウル・ビエンナーレ展、75年マイアミ・グラフィック・ビエンナーレ展などに出品し国際的な活躍を続けている。星座、花火、花、蝶などのモチーフを抽象的に表現。水性絵具と油性絵具を木版プレスで摺り重ねることで、洗練された深味のある色彩をつくり出している。1969年から多摩美術大学教授、92年には日本初の版画科を創設。1989年春の叙勲にて紫綬褒章を授章。1994年日本版画協会理事長、2004年日本美術家連盟理事長を歴任。 (徳島県立近代美術館の紹介ページより転載)


強い風が車の中、家の中へ花粉と埃を吹き込んできます。
3月、4月は木版画を主に展示しております。
by kg142 | 2013-03-13 16:27 | アート

2013年3月5日



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泉茂 馬 水彩 1958 37×54cm


日曜日に公民館で秋山豊寛氏の講演を聞いた。
福島の原発から32キロのところでシイタケ栽培をしていたが、群馬、長野を経て現在京都に避難しているとのこと。農業に転じたのは、宇宙から見た地球の美しさに感動して・・というような内容だった。
月曜の朝には「ポアンカレ予想に翻弄された数学者たち」(タイトルが違うかも)というテレビ番組を見た。
こちらも宇宙に関連していて、関根伸夫先生の「位相絵画」とも関係があるので、ちょっと雑談です。


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突然ですが、図のように二つの円の内側の点から直線を引くと、直線はかならず二つの円とそれぞれ一点で交わる。
内側の円の上の点と外側の円の上の点は一対一の対応している。
つまり、二つの円の上の点の数は同じである。(厳密にはもっと丁寧な説明が必要かもしれませんが、大体そういうことです) 内側の円の上には無限個の点があり、外側の円の上にも無限個の点がある。
つまり、無限の数はすべて同じということになる(連続の無限という)。(ちょっと飛躍しているように思われるかも知れませんが)
(*自然数は別の無限で、無限には2種類ある)
1センチと1メートルの直線の上の点の数が同じ。あるいはゴルフボールの表面と地球の表面の点の数が同じ。
これがトポロジーの一つのベースになっていると思われます。

図のように各点が一対一に対応している二つの図形をトポロジーでは「同相」と言います。(過去の幾何学で合同とか相似とか言ったことを拡張している)

すべての無限の数が同じなら、すべての図形上の点も一対一に対応しているようにも思えますが、一対一に対応しない図形(立体)があるのです。
それを研究しているのがトポロジーで、宇宙が球体と「同相」かどうかというのが、「ポアンカレ予想」というわけです。
(専門家の方には間違いと言われそうですが、私なりの解釈でした)失礼しました。
by kg142 | 2013-03-05 19:30 | アート

2013年3月2日





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小熊秀雄 風景 ペン画 18×25.5cm
「池袋モンパルナス」の名付け親

1901年(明治34年)9月9日、北海道小樽市稲穂町に生まれる。幼少期を稚内市・秋田・樺太で過ごし、泊居高等小学校を卒業。養鶏場の番人など様々な雑務作業に従事した後、1922年より旭川新聞社で新聞記者となる。この頃から詩作を始め、1928年、27歳で上京後は雑誌社や業界新聞で働きながら、雑誌『民謡詩人』などに作品を発表。1935年に「小熊秀雄詩集」長編叙事詩集『飛ぶ橇』で詩人としての地位を確立、自由や理想を奔放に歌い上げる作風で、詩壇に新風を吹き込んだ。詩作にとどまらず、童話・評論・絵画など幅広い分野で活躍した。
小熊の最初の詩集「小熊秀雄詩集」の装幀をおこなった寺田政明ら池袋モンパルナスの画家たちと交流し、みずからも絵筆を執った。なお「池袋モンパルナスに夜が来た」という文で始まる詩を発表。「池袋モンパルナス」の名づけ親も小熊といわれている。
また晩年は、漫画出版社・中村書店の編集顧問となる。旭太郎名義で原作を担当した漫画『火星探検』(1940年)はSF漫画の先駆的傑作とされ[1][2]、手塚治虫、小松左京、筒井康隆、松本零士らに大きな影響を与えた。
1940年(昭和15年)11月20日、東京市豊島区千早町30番地(現在の東京都豊島区千早)東荘で、肺結核により死去した。満39歳没。 Wikipediaより






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古沢岩美 金木犀 油彩20号
「池袋モンパルナス」の住人の一人
by kg142 | 2013-03-02 20:23 | アート