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川越画廊 ブログ

4月26日岩崎勝平 大沢昌助 

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岩崎勝平 波 油彩 1930年代

没後50年 岩崎勝平
川越市立美術館  http://www.city.kawagoe.saitama.jp/artmuseum/
2014年4月26日~6月15日

岩崎勝平(1905-1964)は、1905(明治38)年岩崎育太郎、まつ の七男として川越で生まれました。
父育太郎の弟に桃介、妹に翠子がいました。桃介は、福沢諭吉の長女ふさと結婚して福沢桃介となります。(桃介は松永安左衛門の指南役で、中部電力の基礎を作った財界人) 妹翠子は斉藤茂吉の弟子の歌人で、帝国美術学校初代学長となる杉浦非水の夫人となります。

大沢昌助(1903-1997)は、1903(明治36)年大沢三之助、みよ子の二男として東京で生まれました。
父三之助の妹 絲は、福沢諭吉の長男一太郎夫人となります。

大沢昌助は東京美術学校に1923に入学、1928年に卒業しています。
一方岩崎勝平は同校に1925に入学、1930年に卒業しています。共に卒業時は藤島武二教室です。

つまり二人には接点があるのです。
大沢昌助は当方の主要取り扱い画家であり、岩崎勝平は地元川越出身の画家であって、市立美術館の常設コーナーに二人が並んで展示されていることがあったりと、絵の内容とは関係ありませんが、その縁に大変興味がわいてきます。

以前勝平の遺族宅で拝見したノートの背表紙に、雪谷駅から大沢昌助邸に至る地図が描かれていたのを見たことがあります。晩年困窮した勝平は、昌助との縁を知って訪ねようとしたのではないでしょうか。

生前大沢昌助に岩崎勝平のとを尋ねると、学生時代からその当時までその名を知らないし、自宅を訪ねてきたこともないと言っていました。
(勝平が文展で特選受賞したころはその名を見聞きしていたとは思われますが、時間がたっていること、勝平が早く画壇を離れたこと、官展と在野の違いがあることなどで失念したと思われます。あるいは早い時期に福沢家を介しての縁を知っていたら、記憶にあったかもしれません。)
いずれにしても、近くにいて二人が出会うことがなかったのは不思議な気もします。










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by kg142 | 2014-04-26 15:18 | アート