川越画廊 ブログ

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2月27日 

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秋山祐徳太子  春のエンペラー 


国会が働き方改革で迷走していますが、もとは電通社員の過労死自殺から残業規制となったわけです。
ある時間が来るとパソコンの電源を落とすとか・・ニュースになっていましたが、よくよく考えると企業の側では残業をしてもらわないと困るので、働き方改革となったのでしょうか。

事情はともかくとしても、働き方改革というのは良いネーミングいう気がします。

個人事業主(個人商店)は、休日もないと言こともよくあることです。
裁量労働制といってもルーチンワークが多く、時間でかせぐという面があります。
定年70才という時代、個々人で改革しないと身が持ちません。

私も体力がある方でもないので、1年でも2年でもじっくりと働き方改革をして、人生100年時代の準備をしたいと思う今日この頃であります。












by kg142 | 2018-02-27 14:45 | アート

蝋梅



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毎年この時期散歩で見る 蝋梅 の花






by kg142 | 2018-02-21 13:03 | 散歩

2月16日

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大浦信行の展示
額は付けず、マグネットで展示中

しばらくは、大浦信行とコレクションの常設 といたします。
展示が中途半端になってしまいますので、殿敷侃は4月以降といたします。










by kg142 | 2018-02-16 14:04 | アート

2月9日

  

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大浦信行 natural history 1979-81
パステル・シルク・コラージュ  36.5×27.5cm

2-3月 特集展示 大浦信行のドローイング


ようやく決算が終わり、通常のペースに戻りつつあります。
これからは花粉症ともうすぐ桜の時期です。
例年まだかまだかと待ち遠しいのが桜、たいてい天気が悪くまた、すぐに散ってもしまいます。

大浦信行ウィキペディア抜粋
1949年に富山県で生まれた[2]。1971年國學院大學を卒業し、ケニヤ画廊にて個展を行った[2]。1972年、24歳で8mm映画製作を開始した[3]。また、プリントアートギャラリーにて個展を行った[2]。1973年、ジャパン・アート・フェスティバルに出展した[2]。その後1976年から1986年にかけてニューヨークに滞在し、その内7年間は荒川修作の元で助手を務める[3]。1977年リュブリアナ国際版画ピエンナーレに出品した。1978年クラコウ、ノルウェー、フレッヘンの各国際版画ピエンナーレ、ブルノ国際グラフィックデザインピエンナーレに出品した[2]。針生一郎と出会う[4]。1984年東ベルリンのインターグラフィック'84、東京のギャラリー山口で個展を行った[2]。1985年リュブリアナ国際版画ピエンナーレ、エンバ美術賞展、また栃木県立美術館の1985年日本の版画に出品した[2]。






by kg142 | 2018-02-09 16:30 | アート

2月7日 関根伸夫 



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関根伸夫 境界 リトグラフ 1976 50×37.5cm ed.45



川越画廊は、1984年4月に関根伸夫展でオープンしました。

当方のオープン前に茨城県つくば市で「関根伸夫展」が開かれるということで、勉強の為にと関根先生に言われ出かけました。
根本健一さんの自宅、長屋門、庭に関根伸夫の立体、平面を展示したものでした。

その後交流は続いていましたが、 圏央道の開通を記念してということで、先般来廊頂きました。
今回「旧根本家住宅」が国の有形文化財になったそうです。

根本さんは、いろいろのことをされていて、「ルーラル吉瀬」のHPを見て頂ければ分かります。

ルーラル吉瀬
http://www.rural.gr.jp/
つくば文化郷、キャンプ場、ブルーベリー園 など

つくば市も30年で都市化したと思われるので、事業が里山の維持に役立っていることと思います。

ルーラル吉瀬と川越画廊は設立の年が同じということになりますが、規模は少し違うかもしれません。
ただメンタル的には、共通するものを感じます。
つくばのOBの方も、ついでの折にルーラル吉瀬にも寄られると良いかもしれません。









by kg142 | 2018-02-07 13:19 | アート

寒い日が続きます




画廊創業のころは現在と違う場所に画廊があって、その近くの交差点の向かいに、吉田商会という自動車部品を扱う会社があった。
マフラーなどを街の修理屋さんへ卸す会社で、その社長が吉田嘉七さんといい、画廊の最初の常連さんになった方だった。

後で知ったことだが、吉田さんは詩人でもあり「ガダルカナル戦詩集」を出している。
吉田さんの奥様の妹さんが、一時事務を手伝っていて、品川さんといい都内から通っていた。(嘉七さんも新宿から通っていた)
品川さんのご主人が品川清という方で、「版画友の会」で知られた方だった。

それで「版画友の会」の方が来廊してくださるようになった。

回りくどい話になりましたが、すべて何か運に導かれて、画廊を続けてこられて様に思います。
いろいろな出会いを、時々記して行けたらと思います。

吉田加南子さんは嘉七さんの長女で、吉田商会を継いだ次男の吉田隆さんは先年、私と同年で亡くなってしまった。
品川清さんは、亡くなるまで毎月電車を乗り継いで、画廊に来ていただきました。


*「版画友の会」は美術出版社が作り、その後会員がNHK内で続け、90年代まで続いた。
池田満寿夫、駒井哲郎なと著名な版画家にオリジナル版画の制作を依頼し、会員に頒布した。








by kg142 | 2018-02-02 17:54 | アート